Vol.015 ロスアンジェルスで同じギタークラブの同期 服部くんと会う-詳細編


ウェストロスアンジェルスベースに生活が始まった

ロスアンジェルスのダウンタウン近く、メキシコ人街のカメオハウスに2週間滞在した後、服部くんのサジェスチョンもあり、ウェストロスアンジェルスの日系人が多く住む地域に移った。

今日、西のリトル東京に対し、東のリトル大阪と呼ばれるようになったエリアである。当時は、それほど有名ではなかった地域も、今日では日本からの一時居住者も増えて、日本食レストラン、特にラーメン屋、寿司屋も開業し、床屋もあり、小さなショッピングセンターも建てられていた。私がカメオハウスから移った時は、日系スーパーマーケットと数軒の日本食レストランがある程度だった。場所はフリーウェイ405号線に並行してSawtelle BlvdのOlympic BlvdとSanta Monica Blvdに挟まれた地区であり、この通りの周りは2Km四方に渡って、日系人が多く住む住宅地が広がっていた。もともと、ベバリーヒルズ、ブレントウッド、サンタモニカ市に近く、日系人がこれら高級地のガーデナー(庭師)として働くのに便利な地域として誕生した住宅地だと聞いた。

戦前、戦後にアメリカに渡って、ガーデナー(庭師)として働いて財を成した日本人が住んでいた。彼らはこの地に土地を購入し住んでいた。そのため、ほとんどの人が成功者だった。碁盤の目に造成された土地は1エーカー(1240坪)単位に区切られており、それを4軒でシェアする宅地に造成されていた。

したがって、どんな小さな家でも300坪単位の広さを有し、平屋でも車3、4台が駐車でき、更に子供たちがバスケットができる程度の充分の広さがあった。そしてこの住宅地は、地域の安全性も確保されていた。

私が住むことになった所は、この住宅地にある仏教会(浄土真宗)の教会の運営する寮だった。2階建ての約10部屋(各2部屋)あるうちの1階Sawtelle Blvdに面した部屋だった。ベッドルーム2部屋に広いリビングルーム、キッチン、バスルームの完備されたスペース充分の部屋だった。既に2人の先客がいたため、1人部屋、2人部屋に入れずに、3人部屋に決まり、ルームメイトは日系三世のジェフくんといって、もう1人も同じUCLAの学生ということで、やはり日系三世で、アリゾナ州から来ていた。2人とも、日系三世であっても日本語はほとんど話せず、常に英語でのみ会話していたが、私にとっては英語の勉強のため好都合だった。そして、我々はすぐに親しくなった。さらに良いことにアルバイト先が近くに見つかった。

Sawtelleの日本食スーパーで働くことになった

私の住み始めた仏教会の寮から徒歩5分のところに、日本食のスーパーマーケットがあった。スーパーマーケットといっても、100坪あるかないかの小さな食品店で、看板には「Fujimoto Japanese Food」と書いてあった。オーナーは日本から移民で来た藤本ファミリーで、当時、既に息子(長男)が取り仕切っていた。家族は4人で、父親が精肉、鮮魚を扱い、長男のJeffくんが野菜、その他全ての食品を担当していた。ミセス藤本はアルバイト女性1人とレジを担当し、ときに長女も手伝うこともあった。私はこのスーパーマーケットでアルバイトさせてもらいたいと申し込み、週3日働かせてもらうこととなった。実は他の3日間は稲垣さんというガーデナーの仕事を手伝うアルバイトをしており、何とか1週間のアルバイトを決めることができたのは本当にラッキーだった。

藤本スーパーでの仕事は食品の品出し、店舗の品書き、プライス貼りに始まり、時にJeffくんの車(2tトラック位)に同乗して、ロスアンジェルスのダウンタウンの鮮魚市場、兼精肉市場、野菜市場などに同行したこともあった。市場へ行く時は、朝7時には市場に着き、仕入れをして、店に戻るのは11時頃になる。それから品出しが始まる。この日本食マーケットは薄くカットしたすき焼き肉が評判となり、ベバリーヒルズ、ブレントウッドの映画人もよく買い物に来ていた。

当時はロスアンジェルスに短期滞在していたロック歌手の矢沢永吉だとか、女優の宮沢りえ。また、ドジャースに入団した野茂選手なども、時々、買い物している姿もあった。もちろん、日系の有名な映画人、女優で、マーロン・ブランドの朝鮮戦争の「撃墜王」のストーリー「さよなら」で共演した日系女優のナンシー梅木、アカデミー女優助演賞の高 美以子、ベスト・キッドの師匠役、パット・モリタ等は常連客だった。このスーパーはUCLAに行くようになってからも週3日ベースで働かせてもらった。話が前後するが、私の住んでいた仏教会の寮からUCLAまではバスで15分から20分程度で非常に便利だった。Santa Monica Blvdまで徒歩3、4分。バスに乗って4、5停留所でWilshire Blvdに着いて、そこがUCLAの入口だった。


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